ランニング中に日記に書きたい内容がポツポツ浮かんでくるが、その後シャワーや食事をしていると忘れたりしてほとんど書かない。
引っ越しをするぞ
2017年に東京都港区に引っ越してきて、2019年に同世田谷区に引っ越しをした。
今の世田谷の借家に住み続ける理由はないのでノリと勢いでもっと都心から離れる方向に逃げようと思う。
- 気軽にツーリングに行ける渋滞しない道・高速道路のIC近くに住みたい
- そろそろ部屋が狭くなってきた
- etc
やっぱり今の借家に越してきた理由が通勤の利便性を考えた結果なので、その利点が消えた今QoLを高めるために今の生活に合った場所・住居に住むべし。独り身という身軽さもあるしね。
たぶん妥協が大事
今年の年始くらい?にも引っ越しを検討していて、結局踏ん切りがつかずにネット上で物件を定期的に確認するだけで終わってしまった。
今思うと引っ越しの必要性が生じた時は一日で内見済ませて引越し先を決めていたし、自分で自分の尻に火をつける必要があるということだろう。
環境を変えるということは今享受しているものの一部を手放すということ……。
港区に住んで居たとき徒歩圏内にあったボルダリングジムは今はない。
それでもランニングで代替できている。
独立洗面台も前はあったが今の借家にはない。それでも「ほしいな〜」と思いつつなんだかんだ過ごせている。
引っ越すことで家賃が上がるとか、ゴミの分別が手間になるとか、失うものを考えすぎては身動きが取れなくなるね。
中高生時代の象徴
大学生までは福岡の実家で暮らしており、その時足といえばもっぱら自転車だった。
友達の家に遊びに行くには自転車。中高の通学も自転車。バイトの通勤も自転車。最寄り駅へ行くにも自転車。全ての移動を自転車で済ませていたと言っても過言ではないかも。
大学生のあるタイミングで通学に親の自動車を借りるようになって以降は移動が自動車 or 徒歩の二択になった。
博多に行くために最寄り駅へ行くにも今までなら自転車を使っていたのになぜか駅まで歩くようになった。
東京に来て以降も自転車を買うことはできたしその利点は十分あるはずだが、なぜか無意識に避けていたように思う。
これが「生活レベルを下げることができない」ということだろうか。
心のどこかで自転車を中高生のもの、今の自分には似つかわしくないものと捉えていたんじゃないだろうか。
別に何が言いたかったわけではないけどランニング中にふと思いついて書こうかなと思って。
実際自転車は便利だよ。たぶん。